燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

過去をいつまでも突いてくる奴ってマジでクソ

触れなくていいことに触れて嫌味を言う

まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーじで学ばないなこいつ

 

今でも学生時代の自分がどうすれば普通に生きていける人間に育っただろうかと考えて、土壌がカス過ぎて育ち方も悪すぎてどう足掻いても無理だったとしか結論付けられないくらいにはこの家には何も褒めるところがなかったのに、

自分たちには非が全くないと言わんばかりに完全な他責によって昔の俺のことを刺してくる

 

はぁ~~~~~~マジでこいつら。

 

出来の悪い親から出来のいい子は生まれねえんだわ

親の偏差値より20も高い高校に行って自分が周りからかなり浮いたあの当時のことを思い出すと本当にどうしようもなかったと感じる

自分に嫌気がさしたのも、今思えば周りの育ちの良さと自分の育ちの悪さによる差が原因だったんだろうな

当時はその差に全く気付かず無為無策に足掻いては何も為せずに沈んでいった

 

昔の自分のことを考えると、今でもよくわからないことが多い。

当時の親がこの家庭において明らかに異常値な自分を制御できず、抑圧ばかりしていたことが原因なんじゃないかと思わずにはいられない。

抑圧されると人は何するか分らん。

もっと伸ばす方法はあったはずなのに。土壌がカス過ぎだ。

全てにおいて浅く、その癖に大人しくできず矢鱈に何かになろうとする化け物が生まれた。

 

昔のことを思い出しながら何かを考えると、必ずあまりにも不愉快な過去の自分がフラッシュバックする。

思い出したくもない過去。

 

こいつらはそれを一生突き続けるんだろうな。

だから、俺は此処にいるべきではないというのに。

 

世界は俺に全く優しくはない。

育ち方をミスっただけでこうなってしまう。

俺は誰にこの責任を取らせればいいんだ。

自分が背負うにはあまりにも重すぎる。

 

過去の自分を完全に捨て去れる環境が必要なんだろうな。

犯罪したわけでもなく、ただただ人として未熟だっただけの過去なんて捨て去っていいだろう。

それが許されないんなら自分は何もできん。

それを許さない環境にいるから今の自分が何も出来ていないんだからな。

 

はぁ

結局いつも通り。

どんなに過去を見つめ直したところで、当時の自分はただ愚かだったし、その愚かさは環境のせいでしたとしか言いようがない。

どうしてあそこまで出しゃばりだったのかと考えれば、人より出来るのに全然認めてくれない家庭環境のせいで満たされなかった自己承認欲求がそうさせたとしか思えないし。

そもそも、自責してどうにかなるものでもないし。他責にして恨んでいた方がよっぽど救いがあるってもんだ。

 

あぁ、多分親もそういう感じなのかもしれん。

お互い様って感じ?

でも俺は面と向かっていう価値を感じてないし、お互いに損しかないってこと分かってるんだけどね。

触れて何かが変わるわけではないことを理解しているなら言わなければいいのに。

何でそれができないのか不思議でしょうがない。

 

家族だから?

そのせいで子が壊れてるのに?

いくら考えても合理性がない。

感情で衝動的に動く人間はこれだからカス。

そんなしょうもない人間に壊される俺、マジで雑魚。

 

早く環境変えてぇ~~~~~~

妥協してでも結果を出しに行けない自分がひたすらに憎たらしい

まぁ、ある程度の妥協がようやく許せるようになってきたし、これからだと思って頑張るしかねえ。

 

はぁ

頑張る、ねえ

マジでこの言葉意味ない。

 

口先一つで行動と結果が伴う魔法のような言葉無いかなぁ。ないかぁ。そっかぁ。

そう簡単に改善出来たら苦労しないが、考え方を改める試みは続けた方がいい

去年の4月を見たら、1年後にはもうこの家にはいないという風に言っていたが、結局のところそう簡単に事が運ぶことはない。

この家の人間は俺をカスに仕立て上げるので、早いところこの家から抜け出したいという意欲はある。

だが、足場がとにかくない。どう踏み出すべきかわからず闇雲に足を踏み入れて足が沈んで危機感から元の位置に戻る。今はその繰り返し。

 

自分は現状、足場を見つけるために思慮を巡らせるだけの気力を持っていない。

長い無力感の中で染み付いた、「この先は全てが泥沼」という経験が俺の足を止め続けている。

そうして徐々に行動力が鈍っていき、何も考えず、小さな場所で閉じこもって身動きをとることもしなくなっていく。

 

自分が行動できなかったのは、泥沼に沈んでいく手を取りあって引っ張り上げあえる友がいなかった事にもある。

気の置ける人間ってやっぱり大事なんだな。

 

世界を狭めているのは環境に大きな原因がある。

しかし、それに影響されて自分の思考も狭めてしまっているように感じる。

強い意志なくては現状改善なんて途方もなく困難を極める。

だが、意志を絶やすことなく燃やし続けるにも燃料がいる。

 

考え方を改めていかなければならない。

自分を騙して空元気でも行動力を作り出していかなければならない。

出来ないという思い込みを少しずつ取っ払っていかなければならない。

 

 

足場固めていくことを目的にした方が、結果的にいつか目的地にたどり着けるはずだろう

地道に頑張っていくしかねえか

無力感はそう簡単に克服出来やしない

何かしたいという焦りはあっても、具体的な目標地点を見失って久しい状況にあると、何をすればいいのかが分からなくなって何もできなくなる。

最近は本当に何を考えればいいのか分からなくなってきてしまっている。

何しても上手くいかない。次もきっと上手くいかない。その積み重ねが俺の思考能力を完全に凍らせてしまっている。

 

得たい結果は確かにある。

でも、その道筋が全然見えなくなっちゃって。

もっと楽な道を通ればいいのに、その道を通ることが怖くなっちゃって。

より多くの人に見られるような試みはいまだに心の準備が出来ていないようで。

そうも言っていられないのに、自分をよりよく見せたくなっちゃって。

もう自分の見た目なんて最低値なのに何に拘っているのやら。

プライドは捨てたと思っていたけど、砕け散ってるだけで未だにこびり付いて効果を発揮しているのかもしらん。

 

頭が上手く回らん。

何をどうしたらいいんだろう。

最近もまた思考停止の日々だ。

と思ったけど今はただ眠いだけかも。

 

後回しの癖がひどく、やるべきことが出来ずに遊び呆ける。

その結果何も手がつかずに遊び疲れて寝る。

自分のやるべきことはもっと簡単にしなければならない。

自分のポテンシャルを高望みしすぎなんだよ。もう二回り上の知能の人が何とか出来る理論値の活動を自分が出来るわけがないだろ。

 

なんかすごいことしたいという自己顕示欲。

その具体性が帯びないまま空想し続けても何も為すことができない。

昔からそう。

現実が見えていない。目を背けている。

行動が伴わなければ夢を見る資格は与えられない。

大きすぎる目標ばかり。地に足付いた堅実な目標でなければならない。

自分はすごい人間ではないのだから。

 

世の中のすごいように見える人間なんてものはすごいことをしたくてそうなったわけではない。

堅実にやれることをやり続けてそうなっていることが圧倒的に多い。

そこにほんの少しの本人の素質が足されることはあるけども、継続なしにはその素質が引き立つこともない。

 

自分の中には化け物がいくつか居る。

満たされない承認欲求によって肥大化した化け物と、その化け物を嫌悪して過剰に封じ込めようとする化け物。

愛やぬくもりに飢えた化け物に、世を憎み他者を破壊したい化け物。

今の自分はその化け物達に振り回されている。

明確な自我が存在していない。

 

もう何言ってるのか分からなくなってきた。

抱えているものが肥大化して何も考えられなくなってる時にはこうして発散しないとやってられない。

表の活動では何も吐き出せない分、こういう場所でしか吐き出せない。

口は災いの元。ネガティブを吐き出した口と活動名が結びつくと碌なことがない。

メンヘラの相手なんか好んでする奴にまともな奴は居ない。

仮面を被って空元気か、そもそも何も語らぬか。それが出来ないと嫌悪されるようになる。

というかそういうの見ると自分が不快感を感じる。

自分は抑えているのに、コイツはこんなこと言って人に構ってもらうとかいけ好かない

そう思うメンタリティが自分を常に抑圧している。

 

はぁ。

吐き出して自己嫌悪して自己陶酔して終わり。

毒吐き場なんてこんなもんでええか

他人にマイナス振りまいておいてプラスを要求するとか何と浅ましい

人に何かさせたいのであれば、やらなければマイナスの感情をぶつけるのではなく、やったらプラスの感情を与えるのがよいというのは、バカでなければすぐに気づくことなんだ。

でも、うちの人間は本当にバカでどうしようもないので、意図的に何もしていない理由に気付くことがなくただ愚かに不満をぶつけるだけ。

そもそも、うちの人間には何かをしてやるとそれを当たり前として常に要求し続けて一つもプラスになることがない。

だから、俺はこの家には何もしてやらないと決めている。

 

クズの発想だと自覚してないはずがない。しかし、そうでもしなければ俺はこの不幸から抜け出すことができなくなる。この家には居場所を作ってはいけない。

俺は基本的に誠意がない人間だ。だが、その誠意のなさは常日頃から誠意のない人間性の人物の理不尽に曝され続けているからそうなっているだけ。

本当は舌打ちするような人間性なんて持ち合わせたくないんだよ。もっと穏やかに過ごしたい。

そうなりかねない環境もネット上のものであれば自衛して避けるようにもなった。あとは現実だけ。

もうすでに心は此処に無い。

自分の準備を万全に整えるまでは何もできないのは本当に息が詰まる。

金を稼ぎ始めても絶対に一銭も入れてやらねえ。これまで俺にマイナスを振りまいて俺の成長を妨げ続けたことを後悔しろ。足を引っ張ることしかできねえ馬鹿共がよ。

 

はぁ。

マイナスぶつけられると自分もマイナスの人間になるから本当にクソ

プラスを与えてくれる人間と出会っても、その人が辛抱強くないとマジで迷惑しかかからん。

だからこの家は終わってるんだ。こういう場所で毒を吐かないと、この蓄積したマイナスが漏れ出て碌なことがない。

 

本当は穏やかな人間になりたかったんだ。

暴言も愚痴も人を悪し様にも言うことがない、温厚な人間に。

嫌味のない人間になりたかった。

でも、人は人の映す鏡という。誰かの影響を必ず受けるし、それが身近であればあるほどその影響は強い。

いつか、この膿を出し切って平穏に暮らすことはできるのだろうか。

 

何もできないくせに文句だけ言いやがって

やっぱりうちの家庭は終わってる。

すぐ焦れる。そしてすぐ害意をばら撒く。本当に即物的で、安直な思考に走る。

こっちは果報を寝て待つ状況のつかの間の安息だというのにひたすらに不快な気分にされる。

 

俺に対して不満があるのは分かるけどな、俺もあらゆる不満押し殺して立場を弁えて無感情に努めてるんだわ。

どちらにしろ、お前らは俺の正しい成長を妨げてまともな人生を歩むチャンスを育めなかった地点で何もできることはない。

文句言ったところで何も変えられない。むしろ俺の将来性を享受できる可能性が0に近づいていくだけなんだがな。

まあ、多分ストレス発散以上の目的もないだろうな。

本当に自分の機嫌取りも自分で出来ないつくづくカスな家庭だこと。

本当に、過去の俺が常にそこに在るかのようで嫌気がさす。

 

まぁ、1年後にはもうこの家には居ないことだろうし、俺は俺でやるべきことを粛々と進めていくだけだな。

はぁ。外からストレスを注入されると行き場のない怒りが湧き続けてつれえわ。

他人にそのストレスを向けず、こういう場所で発散してる俺は偉いと思うことで留飲を下げるしかない。

世の中本当に不条理だらけ。馬鹿に狂わされ続ける。

自衛して心から隔離し続ければいつかは安息の地にたどり着けるのだろうか。

居場所が得られないからやる気が削がれているのかも

孤独に戦い続けていると本当に心が徐々に凍り付いていくのを感じる。

熱量が放出されていくばかりで動こうという意思が削がれていくような感じ。

人は人の影響なしに行動の動機付けが出来ないということなんだろうか。

 

自分は常に居場所を探し求めてきていたのかもしれない。

今思えば結構質が低かった家庭環境において、自分だけ分不相応な能力を発揮して、家庭環境に似つかわしくない社会に放り出された自分には常に居場所となれるような場所が無かった。

家でも学校でも職場でも、自分は能力がちぐはぐで常に異質な人間。

自分の内に潜む化け物が暴れていたのも本当に良くなかった。承認欲求に飢え過ぎていた。

昔の自分は今の自分とは全く違うものということにしている。仮に昔の自分を知っている人間と出会っても知らないことにするつもり。

思い返せばそれくらい酷かった。本当に思い返すたびに苦しくなる。本当にひどい。

結局どこにも居場所を得られず。逆に失うばかり。

でもすべてが自分のせいだったかというと疑問がある。割と世の中の理不尽が自分を愚かに仕立て上げた側面もある。

自分が愚直過ぎたとも言えるが、それでもクソみたいな社会のせいにしないとやってられん。

 

 

今の自分は過去の戒めに縛られ過ぎている側面もある。

過去と同じ失敗をしまいと考えて、でも結局どうしたらいいのか分からなくなっている。

居場所を得るどころか失い続けた自分には、行動するのが躊躇われるくらいの戒めが刻まれてしまっている。

分からないという状態から抜け出す手段を誰からも教わることが出来なかった自分は、苦しみ続けて解決手段を模索するのではなく、思考停止して苦しみから逃げるという方法しかとれなかった。

自力で考える能力があったとしても、過去の失敗のトラウマが呪いのように思考能力を奪っていく。

もっと純粋だった頃はたとえ愚直であったとしても行動できた。

失敗のリカバリー手段を知らなさ過ぎたとはいえ、結局自分には失敗を乗り越える力を身に着けておく必要があった。

必要以上に罰されて育っていた自分には失敗というものは怖いものだった。

 

あぁ、なんか文章考えるの怠くなってきたわ

居場所なんてものは活動していれば副産物として得られると自分に言い聞かせていたけどやっぱりつれえわ

 

欲求無しに人間は動けやしない。

自由が無さすぎると満たされない状況を甘んじて受け入れてしまう。

無欲過ぎれば何も出来ない。

自分の求める物を見つけるべきか。

なんでもいい。真なる欲求である必要はない。

自由が無いなんて言い訳にもならねえ。

何でも求めていけ。強欲に。

 

――って感じでいくか。

急いでいるからこそ道筋は十分に把握する必要がある

物事を急ぎで達成しようとすると、自分は深く考えることが出来ず闇雲に突っ走ってしまうように思う。

多分、「急ぐ」ということは何よりも早く行動しているように「見せなければならない」という風に認識してしまっているのだと思う。

ゴミみたいな家庭環境のせいでそのような知能の足りない無意識が定着してしまっていることにほとほと呆れるばかりだが、これは改善しなければならない。

急ぐからこそ、道を誤ってはいけないのだ。

 

自分が今の環境に甘んじて抜け出せなくなっているのも、即物的な馬鹿共に急かされて道を逸らされることにあるようにも思う。

クソ環境によって壊された自分の脳機能が足かせになっている部分も否定できないけど。

いずれにせよ、自分は「急ぐ」ということを人生において学べる機会が無かったんだろう。

馬鹿の家に生まれたという自覚くらいは持つべきだったな。ほんとに。

まぁもうそれは今更なんでこれ以上愚痴るのは止めにしておくか。

 

自分は立ち回りが常に下手くそだ。

行動すべてがしっかり歩みを進める物でないと、急ぎで現状から抜け出したいという自分の切実な望みは遠退いてしまう。

それであるのに、考えるべきことの方向性が未だに迷子になることが良くある。

ひとまずで形にするための今必要となるアイデア出しをするはずが、今必要ない詳細な内部の処理を考え始めたりする辺り自分は異常持ちなんだなと実感させられる。

 

下手くそなりに、道筋を間違えないためにも工夫しなければならない。

自分には幸いにも足枷が無ければ優秀になり得る知能が多少備わっている。

思考停止していてはいけない。考えて行動せねば。