気色の悪い常識が支配している世界にしか見えない
なろうのランキングに乗る作品って大体のものが読んでて「気持ちが悪い」と感じる。
最近のなろう作品の傾向を見ていると、
・才能は天から与えられるもの
・努力の脳内理論値は異世界なら余裕でした
・主人公の頭が致命的に悪い
・主人公以外の登場人物の頭は主人公以上に壊滅的。
・結果として主人公に称賛が集まる。
・異世界の生活は全部チートを使ったゲーム感覚
・異世界の情景描写は「全く」無い。
・主人公とその周りだけなぜかその世界の裏技的なものを知っている。
・そして主人公はその力を大したことないと謙遜風「自慢」する。
なんでこれで上位に食い込めるのか。
感想をざっと見ると、そんなことを思っている人は殆どいない。
むしろ、それが常識だとでもいうような空気になっている。
そもそもあの空間で作者が求めていることは心地の良い肯定だけであり、高尚な作品を作ろうと切磋琢磨することにないと思う。
読者側もそれは求めていないし、作者に求めているのは余り思考せずに楽しめる暇つぶしコンテンツをコンスタントに提供してもらうこと。
あの空間で純文学的な作品が投下されても多分読者はあまり考えたくないから「どういうこと?」と言うような煮え切らない反応が返ってくるんじゃないかと予想している。
ぶっちゃけ、作品を作らずに批判的なこと言っている人間よりも、作品を作って表現している人間の方が偉いんだよ。
だって、前者は全く生産的じゃないのに対し、後者は質はどうであれ価値創出をしているのだから。
多分読者側も批判的な目で見るより肯定的に見て自分も作者も気持ちよくなった方が建設的だって理解しているからすっきりと読めているんじゃないだろうか。
でもそれらに対して批判的な感情をもって作品を作れたとしたらどうなるか。
多分、なろうのランキングには絶対乗らないだろう。
なぜならなろうの読者はなろうのランキングに乗る作品を肯定的に捉えているのだから。
批判的な作品が出てきたら受け入れられず蜂の巣を突いたような状態になるか完全に無視されるんじゃないだろうか。
それに、ランキングの上位に乗れるほどの更新頻度を保てる者はいないんじゃないだろうか。
高度な文学性を持った作品をなろう上位の作品と同じペースで作れるならもうなろうでやらずに出版社に持ち込んだ方がよさそう。
何も持っていない状態からひと風吹かせようなんて息巻いて良質な作品を作ろうとしても、プロでもない人間には難しいし作り切れなくて埋没するのが関の山だろう。
まあ、自分は文章を読み易く書くことに慣れていない上に小説を書くということに興味はあまりないので本当に門外漢からの意見って感じなんだけど。
そもそも書店に並ぶラノベとかのような売れることを前提として仕上げている作品群ではないから過度な期待は禁物ということだろうか。
それでも自分にとってあの空間は気持ちが悪いと言わざるを得ない。
なぜならばあの空間を肯定してしまう場合、
・人並みな人間は努力をし、継続をすることはバカバカしいと考えることが正しい
・努力と言うものは降って湧いてくるものであるべきで、出来ない現実はバカバカしい
・人に自分が優れていることを誇示することは心地がいいし謙遜すれば許される
要するに、高みは目指さないで下だけ見る精神性がこびり付くことになって、己の停滞を受け入れることに繋がるんじゃないかと考えてしまうわけだ。
今の自分はもう底辺も底辺なのだが、それでも這い上がりたい気持ちはある訳だ。
だから個人的にこれらの作品を受け入れたくはないという拒否感があるのは仕方がないと思う。
それに、こういうのを見ると、過去の自分の立ち振る舞いが嫌でも思い起こされてしまうのだ。
ああ、なるほど。自分は少なからずなろうに過去影響を受けてしまっていたんだな。
昔の自分はなろう主人公の思考回路で、今はなろうの脇役みたいな思考回路をしているのだな。中二病から高二病になるみたいな感じか……
少なくとも自分は自分の過去を肯定することはできないし、それらを乗り越えないことには戦っていけないのかもしれない。
過去の自分を気持ちよく否定して高尚なものが作れるのであれば、ようやく乗り越えることに繋がるのかもしれないけどな。
自分がゲームを作りはじめたら若干皮肉を込めて見たいと考えてはいるけど、どれだけかかるのやら。
そういう脳内理論値に囚われていては行動しようがないんだよね。
なろう作家の精神性だけは見習った方が何かを完成させるという視点においては益が多いのかもしれない。