燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

堕落は言い訳などせず戒めなければならない

甘えが積み重なった結果の失敗

久々の更新。明らかに今の自分は俯瞰した自分自身を認識できていなかった。

明らかに自分は甘えていた。

 

 

毎週やるべきことを自分に課したはいいが、結局それを期限ぎりぎりになるまで放置し、それが無理になって色々な質が低下したやっつけ仕事をするしかなくなって終わる。

まあ、昔から宿題とか課題とか言ったものが大嫌いでギリギリまでやらないか、やらずに逃げて期限過ぎてもあわよくばまかり通らないかと考えてしまっていたものだから、こうなってしまうのはこれまでの育ちからして仕方がないかもしれん。

それが自分にとって大きな損失であるのは痛感しているものである。信用そのものにかかわるもので、こんな調子だとずっと俺はクリエイターになることすらできない。

そして、それに対して軽々しく言い訳してしまうという悪手。そんなんどうやって信用しろと言うものか。

本当に失敗した。僅かにでも信用を失うとついでにいくつかの機会を同時に失ってしまう。

失敗しないためにも、もっと行動をして成功する試行回数を増やさないといけないというのに行動そのものをしないのだから救いようがない。

 

 

最近、情報が常に流れていないと不安になりがちな状態になっていた。

何らかの興味に対して常に情報が更新されていないか確認しないと気が済まない状態になっていたように思う。

SNSというか、Twitterとかはやってないにしても、それに近い状態になってしまっていた。

自分は現状孤独だ。友などいない。家族には秘め事だらけの上腫物扱い。何らかのつながりが欲しくなってしまったのかもしれない。

今の自分に昔ほどの自由はない。何なら、会社員として働いていたごくわずかな時期の方がよっぽど自由だった。

足となる交通手段も免許すら取得していない俺には無いに等しいし、田舎でそんな様相じゃ家の中に閉じこもるばかり。自転車なんかじゃ全てが遠すぎる。

不満ばかりが募って発散されない。そんな状態が続いてもう2年が経とうとしている。

そろそろ抜け出さないとまずい。でも、社会は怖い。根本的に怠惰な自分がどうあがいても上手く立ち振る舞える未来が見えない。

そうなるとやっぱり自分は創作でどうにか自由を獲得していくしかない。

 

 

創作に必要なのは有意義なインプットと、有効なアウトプットだろう。

だが、それは怠惰では獲得できないし、不自由では得られないし、そもそも他人への共感性に乏しい自分には得難いものである。

熱意がない。いや、まったくない訳じゃないにしても、それ以上に失敗への恐怖が上回ってすぐに冷や水をかけられてしまう。

行動したとしても、それに意味があるのかが分からなくなる。

多分意味を考えることをせずただただこなしているだけだから効果がないんだとは思うけども、勉強することからも逃げてしまった怠惰が今にも響いている。

自分は勉強の仕方が分からない。勉強しなくても出来てしまうか、出来ないならそもそもやらないからだ。

子供時代、経験を積みたいという意欲的な感情で出しゃばることよりも、ただ評価が欲しいから出しゃばったことが多かったのが原因だろうか。

俺は人に認めてもらいたいだけだったのかもしれない。親が認めてくれなかったからそりゃ当然だ。

認められるための努力が無意味だと無意識に感じるようになったのは間違いなく育ちのせい。

そうなりゃ効果的な勉強方法を研究するなんてことしなくなって当然だろうな

現状自分には創作をより良いものにしていく成長を得るために重要なものを持ち合わせられていないことになる。

それでもどうしても獲得しなければならない。

そうしなければ俺に未来はないのだから。

 

 

 

やっぱり思考が散らかる。

自分は必要なことを考えなさすぎて余計なことを考えすぎる。

もっとちゃんと俯瞰視点に立ったうえで、ひたすら試行回数を増やすための行動を取らねばならないというのは間違いないだろうが。

失敗を恐れて行動しないのが大体の原因なのだから、失敗はあるものとして成功する回数を増やすために挑戦し続けねばなるまい。

トライアンドエラーしたうえで蓄積するということだけを考えて、シンプルな行動をしていかねばならんだろうか。

 

まぁ、とにかく考えて動けよってことか。

今何も手札がない状態で最善手を考えてもしゃーないよな。

最善手は手札が配られてから考えるべきなのは当然か。