燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

創作の奥地へと向かった私は気づけばまたゲームでガチろうとし始めていた

だぁめだこりゃ。

 

ふと冷静になって気づいたけどなんでまたゲームやってんだろう俺。

マジで、ふとしたタイミングで「これやりたい!」というのができてそれをやってしまうと、それが楽しくて楽なことであるほどいとも簡単に習慣になってしまう。

 

まぁ、長らくコミュニティに属さない状況が続いていて、ふと息抜きがてらやったオンラインゲーム内での環境を変えた結果、たまたま拾われて楽しくなっちゃったんだろうな。

これはもう自制しなければならんわ。どうせゲーム内のコミュニティだ。距離を唐突に置いたところで別に何言われようが知らんな。

 

そもそも、自発的な行動をしないで得た環境には何の価値もないんよ。

受動的にはめ込まれた環境なんか、自分の身の丈の範疇でしかない。

そこに自分を高められるような環境が存在しているはずもなく。

ましてやオンラインゲームだぞ。そこには自分のように時間をドブに捨てる人間しかおらん。

 

というか、自分のメインの創作活動を曝け出した状態で関われる人がおらんかと思って環境変えたのに、結局その活動をしていることを打ち明けないままの状態だしな。何の意味もねえ。

でも、こういう活動してます!って自分からいうのは違うじゃん?

自分としてはさりげなく置いておいて、そこに興味持ってくれた人と関わりたい。

……というのは贅沢なんだろうか。

まぁ、それを言えるほど精力的な活動してねえしな。なんならゲームばっかりやってるような状態だったし。

 

なんにせよ、誰かに自分の求めている形で知ってもらうには、自分の知ってもらいたい活動を精力的することに尽きるんだよな。

その舞台をゲームのコミュニティに求めるのは完全に頭が緩かったわ。

自分の打算はあまりにも甘く、あまりにも受動的すぎたということだ。

その甘い打算の結果として得たのは、ゲームによりのめりこもうとしてしまっている自分自身だったというわけだ。うーんこの。

 

ゲームでガチっていいのは音ゲーだけっていうことで。

音ゲーは毎日成長を実感できるし、自分との戦いに集中できるし、体力的な限界があるからキリをつけやすいし、良い音楽は心を癒しつつ想像力を養ってくれる。

 

対戦ゲーのような勝ってなんぼの世界は心が荒むし荒んだ心をおすそ分けされるし。うまくならなければ人権がないからそのために時間を溶かさないといけないし。

MMOも仮初の富と名声と力を得るために捨てる時間とお金を競い続けてるし。

コミュニケーション能力が低くて中途半端なゲームセンスがあると、上手に楽しめないからそこで苦労するんだろうかね。

ほんと、損な育ち方してしまったわ。

 

 

もっと創造的で、生産性を高められる娯楽はほかにある。

一度リセットしないとだな。