循環がないコンテンツって穢れが沈殿しているよなって思った今日この頃
引っ掻き回すと穢れが出るわ出るわ
ああ、ここって自分が泳げる場所じゃないのねと思った時にはもう遅く、自分はそこでの生涯を終えるのでした。
紳士的な立ち振る舞いの必要がない世間に目を向けられるほどの価値もないけど競争がある世界というのはプライドだけは一丁前な人間が沈殿していることが多々あるものだな。
なんでこんな泥水に自分は浸かってたのだろうと甚だ疑問に思う。
きっとそこに青春が確かにあったからなのかもしれない。もう10年も前だろうに。
楽しんでいたはずが、そこに潜む存在によって水が差された。というか泥を浴びせられた。なんなら噛みつかれて千切られた。
というにはちょっと被害妄想に近い話ではあるが、しかし彼らには悪気というものが感じられない。彼らにとっての当たり前なんだろう。
こういう攻撃性が当たり前の環境で舐めて舐められてプライドバトルし続けた結果がこうなんだろうと思う。
そんな環境で育った人間ならば仕方がないのかもと思う一方、この環境でしかイキれないんだろうなと思うと哀れにも思う。
何者にもなれなかった者というものは何者かになったという錯覚を過度に守りたがるものだからな。
そう考えると、今自分が何者かになるための英気を養うという名目で休息しているこの状況、結構マズイんじゃないかという焦りを感じてしまう。
今の自分は間違いなく何者でもない。自負もない。尊厳もない。すべてを脱ぎ去って無となった。
そして、何かを拾い集めて構築するのではなく、這いずり回って既存の環境に寄生して一時的な居場所に仮初の安堵を得ているだけの現状だ。
創作の中で生きていくことが自分の生きる術だというのなら、自分はこんなところで油売ってる場合じゃあないだろうに。
上には上がいる。競わず、戦わず、持ち味を生かせなければ自分のような異常値は生きていけない。
それを理解してそのような生き方を模索している最中に、戦いたがりの野蛮人に遭遇するような場所に居てどうするんだって。
自分はとにかく方向音痴なようで。
よかったな。迷子が見つかって。
で、どこへ向かえばいいんだよって。
自己嫌悪、他人との比較、性格地雷を踏む。
良き人との出会いが困難というより、悪しき人との出会いを避けるのが困難になりつつある。
人に足並み乱されないようにしつつ、人に見向きされないような状況を避けるのはあまりにも難しい。
これが俺の抱える困難なんだな。
やっぱり俺だけの箱庭を作るしかねえのか。