マウントを取るためだけに何かしらの評価を獲得しておくという心理は俺に効く。
自分は前はそういう思考を持っていたように思う。
影響されやすい自分は他人がマウントを取っているのを見て、それに抗い自分もその立場になるために実に無為な努力をすることはよくあった。
それが今では、例えば学歴だったり現在の立場だったりとか、長い積み重ねの果てにあるものでマウントを取ってくる人を見かけたとき、
それはどうあがいても今から取り戻すことは出来ないものであることが多く、とても相手するのが面倒くさい状態になりがちになる。
ぶっちゃけそういう人間が一人いるだけで俺はもうその場所には居たくない。
そういう人間に限って頭が回るから言い包めることなんてほぼ無理。絶対に上下関係を誇示してやたらとマウントを取ってくるに違いない。
負け犬的思考になるのかもしれないが、実際そういう人たちに限って全く尊敬できないレベルでしかないことが多いから相手したくないというのも無理はないんだよ。
俺は純粋に尊敬できるような相手にしか敬意を示す気はないんだわ。
気持ちのいい賞賛が贈れる相手ってとても物腰が柔らかいし親身なんだよね。
そうではなく自己顕著欲のためや自己肯定感のために俺の敬意を利用しようとするのならそいつには逆に軽蔑の目を向けて無視することになる。
なんで現実ではブロック機能とかミュート機能とかないんだろうな。まあ、ここ最近は現実でそういうものが欲しいと思うことはめっきり減ったが。そもそも人と会うことが無いし。
でも自分は割と嫉妬しやすいから、そういう尊敬の念が次第に嫉妬に代わることはよくあって、結果として自分がミュートされる側になってしまうという。
ああああああああ!!!!!!!!!!人間関係ってすげえ面倒くせえ!!!!!!
結局、自分が持っていないものを持っている相手がこれ見よがしに見せつけてくるのが気に入らないだけなんだろうな。
獣の精神構造からまだ抜け出せていない証拠だよ。
身体は闘争を求めるということか。俺は逃走を求めるが。
力が欲しいわ。
クソテンプレなろう主人公みたいに適当な理由で哀れまれてぽっと出の神から力を与えられて分かりやすい世界に送り込まれて自分の力だと思い込んで俺TUEEEして有象無象から称賛されて肉オナホに囲まれる生活をしてえええ――とは流石に思わないな。
このクソ見てえな現実で光を掴みたいし、順当に自らの意思で力をつけてえし、有象無象の称賛よりも切磋琢磨しつつ信頼し合える友が欲しいし、あの世界観の女の子像は理想とも現実とも程遠い。
努力と言うものの正体を知って扱えるようになりたいものだ。
俺は努力と言うものが嫌いだと思っていたが、単純に努力を努力と思うことが間違っているというだけで、努力であると後々認識できる行動を行うこと自体は率先して出来るようになるべきだとは思うんだ。
そうした後にあるのは面倒くさい人間に腹を立てずにスルーできるだけの余裕と、莫大な価値生産能力を手中に収められるということだろうか。もっと色々あるだろうけど。
持っていないものに嫉妬する余裕があるなら、持たなくても価値生産が出来るということを行動で示す方がよっぽどいい。
俺は逃げがちな思考を持っているが、戦う必要のないことからは積極的に逃げるべきなんだよ。
いつも必要なことから逃げて必要ないことに挑戦しがちなのは本当にアホだが。