燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

昨日のあれをまだ引き摺っている。

有害だという自覚がない奴らには触れてはならない。

自分は他人に害ある肯定感を持つことを絶対にしたくないと考えている。

というのも、過去にそういうもので自己肯定感を満たしていた時期があって、その頃は非常に狭量で人としての価値が余りにも低いことに気付けていないほど愚かだったものだ。

そういうとき、他人はそっと自分と距離を置くようになったものだ。

 

そのことを自覚した時はもうすでに遅い。自分は後悔ばかりしていつまでも引きずって巻き返す行動も出来ない。

一度失った信頼は日本人社会においては非常に重いように思う。他人もいつまで経っても引きずるものだから。

そういう環境から脱してそれはそれ、これはこれと出来る人種に囲まれた方がよっぽど自分は失敗を恐れずに行動できたかもしれない。

まあ、それが出来るほど賢く立ち回れたならそもそもこのクソ見てえな社会で多少はまともに立ち回れていただろう。

結局、自分は基礎能力を鍛えるという努力を怠った結果、今みたいな愚かな引きこもりになってしまったのだろう。

完全に話題が逸れた。閑話休題

 

昔自分は有害な人間で、そのことを自覚してから大分おとなしくなったつもりだ。大人しくなりすぎて行動力が限りなく0に近い状態になってしまったが。

そんな状態で昔の自分を見ているかのような、それでいてそれで一定の立場に居る人を見てしまうとどうなるか。

 

そりゃ気が狂うほど苛立つというものだ。

なんで俺はお前みたいなことをして失敗したのに、お前はそのスタンスで普通に立ち回れているんだ?

単純に自分は折れて、そいつは折れなかっただけの話なんだろう。

人に嫌われる勇気がない自分と、人に嫌われる勇気のあるそいつとの違いだ。

 

でも、やっぱり納得がいかないものだ。

自分に正当性はどこかにないか考えてしまうものだ。

自分に正当性がないと自分自身への信頼が揺らいで気持ちが不安定になっても仕方がない。

基本的にああ言った手合いは相手の正当性を攻撃して自らの正当性を相対的に高めようとしている醜い存在なんだ。

だが、そう思い込もうとしても結局どこか引っかかる。

言い逃げされたようなもんだ。挽回の余地がない。釈然としないのも無理はない。

そもそもあいつらに自分の考えを言って聞かせて理解させられることは多分一切ないと考えると、こんなこと考えることすら時間の無駄なんだろうが。

 

おれは少なくとも他人の考えに寄り添う気持ちがあるつもりだ。

だが、他人を攻撃して愉悦を得ようと考えるやつらは俺は人間だと思っていない。

その手の輩の気持ちを考えるだけでも反吐が出る。これも多分同族嫌悪。

そういった過去を経て折れてしまった自分だからこそ余計に不愉快に感じてしまうのだろう。

 

そうなると昔の自分が人間じゃないことになる。

実際人間になれなかった様なもんだから間違ってはないかもしれない。

今の自分は最高に人間臭いかと言うとよく分からない。

だが、弱音やら気持ちを吐露して自分の考えを拙いなりに表現しているというのは多少は人間味を獲得できているのかもしれない。

そういった意味ではBot以外誰も見ていないであろうこの日記は自分を人間に戻す役目を担ってくれているのかもしれない。

知らんけど。

 

まぁ、今のこのモヤモヤした感情は、今後その手の輩には絶対に近づかないという教訓を胸に抱いて風化するのを待つしかないか。

もしもバッタリ遭遇してしまったり相手から近づいてくるようならちゃんとブロックなりミュートする機能を使ってシャットアウトするのがよかろう。

道端に落ちてる犬のうんこみたいなもんだ。わざわざ踏みに行かず避けて通るだけでいい。

踏んでしまえば粘着質でいつまでも引っ付いてくる可能性だってあるのだから。

何も全てを軽く受け流せる余裕があることが正しい訳ではない。

そういう余裕がない内は精神衛生上不必要なものを回避するのは大切だろう。

 

それはそれ、これはこれ。出来ない輩は纏めてポイ。