躁鬱の躁状態を上手く扱えるかが鍵
自分は精神科にまだ受診できていないから完全に自己判断なのだが、これまで自分は躁鬱の傾向とほぼ同じような行動パターンをしていた。
だから多分躁鬱で間違いないとは思うんだが、まあ素人判断なので飽くまでも自称ではあるんだけども。
今の自分は最高にテンションが高い。ハイって奴だ。
今の自分は余り愚痴るようなことが無い。
今は絵を積極的に描いている状態。本当にこの状態が続いたらどれだけ楽しいか。
それに、この絵は最終的に販売作品の一部になる予定だ。
以前に1度作った作品を継承して少しボリュームを増やした程度。
それでも販売するに足るという目星がついただけでも相当なモチベーションになるものだ。
有意義な反応が返ってくるというのは本当にモチベーションに繋がるものだ。
たとえ、それがたった1つであったとしてもだ。
Pixivに上げるとフォロワーの数的にそれなりにいいねが入るんだが、まあ、満たされない。
何しろ自分が過去に上げた絵にいいねやブクマの数で勝てないから。自分に求められている路線は多分、自分がやりたいこととは違うんだよね。
Fanboxとかそういう類のもう少し俺の作品に自体に興味を持ってみてくれていると考えられる場所でのいいねの価値の方が高く感じる。
不特定多数に宛てたものよりも、自分が提供したいと思うものを欲しがってくれる人を囲った方が細く長く続けられるのかも知らん。
そういった意味では自分はTwitterは全く向かないのかもしれない。
まぁ、携帯電話解約してからもうTwitterアカウントすら取れないから考えても意味ないんだけど。
電話番号無いと色々なサービスが使いづらくなるから早い所復旧したいんだよな……でも金がねえ。実質ニートだし。
最近、自分は根本的に何が描きたいのか何となくつかめてきた。
それは割と曖昧なものではあるんだけど、でも確かに数多くの答えが世の中に偏在しているものだ。
自分は明確な答えを見つけようとして迷子になっていたんだと思う。
実際、プロの領域に居る人たちは答えを見つけてその先に進んでいるように見えていた。
だからこそ、明確に定義しようとしてしまったんだろうな。
多分明確な定義をつけること自体が間違いで、沢山の案を出して答えに幅を持たせるのが正しいんだろうな。
どれだけ俗っぽくなろうと芸術の域であることには変わらないということだろうか。
別名義でこうして色々暈して自分の現状を喜んだり憂えたりできるというのもなかなか楽しくなって来たわ。
いけないことをしている気分だぜ。
いつも以上に言葉に脈絡がねえ。
きっと眠いだけ。でもテンションが良い感じに高い。
まだまだ俺の1日は終わらないようだ。
はー楽し。