燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

自分を認めることの重要性

難しいようで難しくないこと。難しくないようで難しいこと。

今現在、自分は自分自身の価値を認められていない。

自分はまだまだ薄っぺらい。もっと出来る人が居る。もっと魅力的な人が居る。もっとセンスがある人が居る。もっと考えている人が居る。

そう考えて、今現在の自分自身には「価値がない」と思い込んでいる。

 

それは恐らく間違いではある。今の自分でも見てくれる人が居ないわけではない。

その人たちが自分に寄せる期待なんてものは、継続してコンテンツを生み出してくれることであって、より高尚なものにクラスチェンジすることではない。

 

分不相応にも自分は上を見すぎている。野心やらなんやらが邪魔をするのか、現状に留まることに不満を抱いている。

もし上への梯子を踏み外しそうになったのならば、まず足元をしっかりと補強してやらないければ転げ落ちてしまうだろう。

 

今の自分の課題は、今現在の自分の実力を認めること。

そうした上で、分かるわけのない他人の期待に対して応えられないと思い込まず、今のありのままの自分で可能な限り表現をしてみること。

もしもそれで納得がいかないようならば、クオリティは諦めて早々に切り上げて完成させてしまうこと。

 

一番最高なパターンは、自画自賛が出来るようなものを描き、実際に評価もされて自信に裏付けがされること。

そこを目指すには、まずクオリティを上げることに注力するよりも、今の自分自身の苦痛にならないレベルのもので完成させて自分自身に自信をつけることにあると思う。

 

実際それをしてうまく行かなかった例は確かにある。

何となく自分でも質が良くないなと思った作品は実際評価されにくいし、反応も悪い。

それがあるから今現在クオリティを上げたいと思って結果的に何もできずにいるのだ。

 

今の自分は拘り過ぎている。

自分の世界を作り出すのではなく、一先ず先人に倣って他人と共有できる、汎用的な設定を用いて、理解されやすいイメージをもって描くのがいいだろう。

自分の世界に籠らず、他者との共感を目指して一般化した世界観を踏襲するのが、手始めにするにはよいのかもしれない。