燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

働かない代償に休みのない作業

自分は今現在、個人ゲーム制作という趣味の領域を仕事みたいなものとしてお金を生み出せるようにしようとしている。

人に使われることができない自分が、ニートで居続けたいわけではない自分が、何とかして現代社会に噛り付くための悪あがきみたいなもの。

全年齢向けはレッドオーシャンだが、エロは消費されやすく需要も尽きないため供給が常に足りないから勝算がある。

現状反応も悪くない。期待してくれる人が結構いることがかなりの救い。

 

今はお金がないので金銭コストがかけられない。だから、必然的にたった一人孤独の戦いを強いられ続ける。

だから、必然的に自分自身の時間をコストとして払い続けなければならない。

完成するまで一銭の価値も生まないものを、ただひたすらに完成に向けて作り続ける日々。

最近ずっと休みなく作業し続けられている。一刻でも早く自由になりたい。その一心。

 

自分はアスペと自閉症の気質があるので継続的な作業を目指すには苦労する。一時は集中しすぎるし、一時は逆に集中力が散漫になり過ぎる。

そのうえ、作業内容がクオリティの向上に偏りがちになってしまう。

過去に他のゲームプレイで体験した不満足な部分を全部埋めようとしてしまう。病的なまでに。

そのせいもあって完成がまだ見通せない。

 

メンタル的にはずっと最悪なまま。

ただでさえ時間をかけなければならないものに一生取り組んでいる中で心無い身近な他人が頻繁にこっちの心情を組むこともなく嫌味を放ってくる。

でも、そのストレスが作業モチベを生んでいるのもまた事実。

ボロボロになったメンタルを守ろうと働くことをやめたというのに、一刻でも早く現状の劣悪な環境を抜け出してメンタルを上向かせたいがために作業詰めの日々。

結局、働いているのと大して変わらない。怠惰を殺し続ける日々。

 

とはいえ、一人で何かを成そうとするには、趣味の領域であっても働くことと同じレベルで手を尽くす必要があるのは間違いなさそうだ。

誰かが構築した手順をなぞるわけではない。自分の手で切り開かねばならない。

そうなると、休む暇もなくあらゆることを考えて作業を効率的に進めていく必要がある。

もちろん、動画やらチュートリアルやらで誰かの構築した手順をなぞることもあるが、その取捨選択でさえ自分で判断する必要がある。

そこに自分の個性が介在すると感じることができる。

その点で言えば、間違いなく今やっていることを仕事にできるレベルまで持っていくのは自分の性分に合っているのかもしれない。

 

俺はずっとなぜ自分が社会に適合できないのかを考えていた。

ふと思い至ったのは、アイデンティティを渇望していたということだった。

自分じゃなくてもできる作業は全く気が進まない。そのせいでその作業は自分じゃないほうが効率的にできると。

俺は目上の立場の人間というものを心底忌み嫌っていた。

個性を奪う逆らい難い圧力にしか感じなかった。自分よりも経験があってうまく出来る人間であるなら、自分が出る幕はないじゃないかと感じるのもあった。

 

そもそも、歯車になることが嫌いだった。それこそ自分の個性を諦めることにつながるからだ。

だが、自分は歯車にならずに社会で活躍できるほどの経験値は持っていなかった。

社会で個性を発揮できる人間というのは、若くして努力し続けた人間のみなんだと。

そういった意味では、自分は怠惰な学生だったがために、社会において個性を発揮するための条件を満たせなくなってしまった。

そうして今現在自分は努力を後から重ねる必要が産まれてしまっているわけだ。

 

やはり自分は自分で仕事を生まなければならないのかもしれない。

自分は個性を欲していて、誰かに使われる人生を自分は求めていないし、その感情に嘘をつけないから仕事もできない人間として扱われてしまうんだと思う。

そう結論づけると、自分は働かない選択をしたうえで、自分自身の手によって価値を生み出せる人間になることが、自分に嘘をつかずに生きていける唯一の道なんじゃないかと思っている。

 

周りは甘えているだの、現実はどうこうだの。常に言ってくる。

だが、門外漢の言葉など雑音でしかない。そもそも勝算無しに頑張るわけがない。

それに、一手で終わりではないからな。二手三手繰り出す準備をしてないはずもない。

そんなことも分からないような奴らを見返すつもりもない。最早眼中にない。

成し遂げた先にある光景をともに分かち合える人間以外に興味はない。

狂信的に自分の成功を確信して突き進むこと以外の選択肢を持つつもりもない。

 

そうして俺は毎日作業に取り組む。

一日でも早く、成し遂げられるように。

 

余談だが、才能という言葉は自分にとっては唾棄すべき言葉で、無知蒙昧な凡人の言い訳でしかないと思っている。

一般的に才能と言われるものの正体は若いうちの努力による経験の賜物が今現在顕出しているものだと俺は思っている。

結局何かを熟練するには10年前後の経験は必要。

才能を発揮している人間はほぼ全てにおいてそれくらいの経験を積んでいるように見える。

 

音ゲーとかやってるとマジでそう感じる。

音ゲー歴は2年とちょっと。殆どクリア乗るようになって上手くなっては来たけど高難度の精度がまだ全然ダメなんよな。あと3年かけても最高難度のフルコン行けるかどうか怪しい。

理論値取るような上手い人達は幼い頃にピアノの経験があることが多いからやっぱり10年前後が目安なんだろうな。

 

ちなみに、自分はゲームを作ろうと絵を描き始め、プログラミングを学び始めたのは丁度10年ほど前になる。

怠惰な人間だったので、経験の密度で言えばそこまでではなかったかもしれないが。

その理屈なら、そろそろ成し遂げるには丁度いい頃合いだろうと思っている。

それもあってメンタルは劣悪でもモチベーションはかなり高いのが今の自分を後押ししている。

 

劣悪な状況で頑張ろうと思えるようになったのは、逆にメンタルが上向いているのかもしれない。

どっちでもいいか。

やることは変わらん。