燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

内面の傷に気づかないふりをしていたら気づかない内に耐えられなくなっていた

自分はかなりの数のトラウマがある。

それも、大体の場合自分の勉強不足や思慮不足によるもの。

衝動に駆られて引き起こしてしまうことも多々ある。

常人ならお互いに「まぁ仕方ないよね」で終わらせられるものなんだろうが、自分の場合、失敗に対する病的な不安がある。

失敗をケアしてくれるどころか失望の眼差しを向けられたときなんかは苦しくてしょうがない。

それを昔の自分はなけなしのプライドによって覆い隠していたというのもあるのかもしれない。

 

思えば誰も自分の成功を褒めてくれたことがない気がする。

だから、行動することに何の意味があるのか?

それをして失敗したら失望するのに、成功しても何も得られるものはないのはおかしい。

 

いや、実際は褒めてくれる人はいるのかもしれない。

でも、どれも自分にとってうれしい誉め言葉をもらえることなんてない。

どいつもこいつも形式だけ。持て囃すだけ持て囃して期待なんて端からしていない。

 

根本的に人は他人に興味がないようで。

いや、俺の居た環境が徹底的にゴミだっただけだろう。

俺自身が興味を持てなくなってしまったから、他人が自分に興味を持つことなど想像できなくなってしまっている。

圧倒的人間不信。

 

結局自分はあまりにも自分に素直すぎたのだろうな。

その素直さに従って行動したら、穢れ切った自分の環境において健全に育つ土壌がなかっただけのことなんだろう。

そう思わないともうやってられん。

 

いつまでたっても進まない進捗。

もう苦しいわ。なんでこんな苦行してんだ俺は。

 

失敗が怖すぎてず―――――――――――――――――――っと手直ししてらぁ

広げた風呂敷に対する期待値高くなりすぎだって反応良すぎだって

まだ物ができてねえのになんでやって

こんなん失敗できねえって

時間かけねえと無理だってのに時間進むの早すぎだろ

そんでもって俺の作業ペースが遅すぎんだわ

 

前述通り過去のトラウマによって自分は成功体験が乏しいどころかほぼないに等しい。

そのせいもあってそういった考えがどこかで過って俺のモチベを砕いている。

成功への光が見えていて、でもそれが常にどこか霞んでいるような状態。

ずっとそれが続くものだから、その光すらも偽りに見え始めた始末。

 

どうせやっても無理無理上手く行きっこない無駄無駄

そんな風に自分の心は常に叫んでいる。もうこれ以上傷付きたくないという防衛反応なのかも。

ずっと石橋を叩いていたらその叩いた衝撃で石橋を砕きかねないほどには叩き続けている。

過剰なほどに足元を確認しながら今の自分は歩いている。

 

やっぱり失敗が怖くてしょうがないんだろうな。

全て投げ出してしまえればどれほど楽なんだろう。

でも、自分が背負ってしまったものを捨てるにはあまりにも勿体ない段階まで来ている。

そもそも、今のインターネット、一度期待を裏切ればそう簡単に舞い戻ることはできない。

苦しいけど頑張るしかない。

頑張るしかないという結論に至っている地点で限界なのかも。

 

失敗への恐怖が俺を怠惰にして、その怠惰が失敗を招く。悪循環。

勤勉になりてえよ俺もさ。

人間だれでも努力出来たら努力なんて言葉生まれてねえよ。

あーーーーずっと無い物ねだり。

やってらんねぇ

けどやるしかねえんだわくるしいいいいいいいい

 

人間不信で味方も作れねえし、圧倒的孤独感で気が狂い始めているのだろうか。

なんにせよ、毒を吐かないとやってられんかった。ただそれだけ。

苦痛をネットに吐き出すの気持ち良すぎだろ!

 

元ネタ知ったけど令和であんな動画見れるなんて思いもしなかったわ

あぁ永遠に楽しいものが転がっているように見えた昔のインターネッツが懐かしいわ

人生強くてニューゲーム出来ねえかなぁマジで。

あの頃に前線を張れる力を付けて堪能したいわ。