自分を変えることは困難だが変えようとする努力は割かし為になる。だが、変えたくないことを変えようとするのは何のためにもならない。
変わりたいという意思があるかどうか。
変わりたいと思ったとしても人の根本は変わらない。
特にネガティブな要素は一生付きまとい続ける。
俺は一生この怠惰と添い遂げることになるんだろうな。
だが、勤勉になる努力をしたいとは思わない。
自分は自分の型にしかはめられない。
やりたいと思ったことにしか自分は興味を持てない。
興味の範疇にないものには無理に興味を持つことすらできない。
多分、世の中でうまく立ち回れている人たちはその無関心に対して上手く対処できるのだろう。
俺は無理だ。根本的に無関心に抗う意思すらない。
だから、どこまで行っても他人には無関心なんだろう。
自分が傷つかないための自己防衛反応でもあるのかもしれない。
人に興味を持って接して失敗しなかったことがない。
いや、本当に興味があったわけではない。無理に興味を持とうとした結果。
俺はとにかく嘘をつくのが死ぬほど下手くそだ。
正直な感想を脳内で吟味する間もなく口から吐き出してしまう。
インターネットに慣れ過ぎた弊害。文字を打つならいくらでも推敲できるからな。
これを直す気ももうすでに失った。
直そうとすればするほど心が疲弊する。
俺の心の強度は常人よりも弱い。
でなければ引きこもりなんかしない。
なんであいつらはあんなに強かに立ち回れているのだろう。
そうは思ってもそれになりたいとも思わない。
もうすべてを諦めているような感じ。
反動形成として自分は一生創作の世界にのめりこんでいる。
だが、結局世の人々が創作に求めているのは他人とのコミュニケーションだと感じる。
「いいものを見たい」のではない。「自分がいいものだと思う感性が他人と同じであることを確かめたい」のだろう。
作品を提示したとしてもそれを受け取る側の大半はそれを踏み台にして慣れ合いを欲している。
それができない作品は、誰にも何も伝わらないようだ。
名前売り込んで、別に凄いことしてるわけでもないけど他に大勢見ているというだけで衆目を集める。
今のすべてのコンテンツはそういう気質がある。
とはいえ人を集め続けるのは地味に苦労すること。
凄い奴の瞬間火力より、地味な奴の継続火力のほうが総合的な威力が高い、みたいな。
それでも俺は多分、創作においてもかなり閉鎖的に立ち回ることになるだろうな。
知りたい奴だけ知っていてくれ。そういう意思表示。
人と関わりたくないから創作をしているのに、関りを強制させられるなんて反吐が出るからな。
何言いたいのか分からなくなってきた。
なんも分からねえしわかる気もねえわこんな世界。ばかが世。