失敗の痛みを忘れがち
ADHDだと本当によく失敗の痛みを忘れてしまう。
衝動的な行動をしてしまうが故に、後になってああすればよかったこうすればよかった。みたいなことが無限に噴出する。
過去に学んだ痛みを同じように経験して同じように悶々とすることほど益のないことはないよ本当に。
自分は良く人間関係で失敗する。
それがどんな場所であれ。
自閉症でもあるので特段こだわりが強いのも原因ではあるのだが、ちょっと話の通じない相手であるとそのことを相手に自覚させたくて少し噛みつきたくなってしまう。
話が通じない人間というのはそのことを自覚しなければそれによって発生する様々な不幸から抜け出すことはできない。自分もそうだったからだ。
だが、話の通じる脳みそをしていない相手は関わるだけで損をするので放置されていることを自分は理解している。それでいてなお衝動的に行動してしまうことが良くある。
だが、自分は常々やり方が良くなかった。あまりにも皮肉に言い過ぎる節があった。
どうしても不快感はぬぐえないからだろうか。それとも、自分がされたことを同じようにしてしまうだけなのだろうか。
そういう相手こそ最も皮肉が通じないことなんていくらでも分かっているはずなのに。
結果としてお互いに傷を負って良くない結果に終わる。
こんなこと何度も繰り返してきた。
そしてまた人との関わりを絶つ。
はぁ。
俺にもっといい人間との出会いをくれ。
そう思いながらいい人間がいるはずのない場所を渡り歩く。
いい人間と出会うのであれば、「お互いに」信頼できる関係性を築けるだけの自分の価値を創出しなければならない。
しかし、俺は自分の価値には自信が全くない。
偶然の出会いというのは下地があってようやく実るものなんだ。
自分の持っているものに自信がなければ、下地のない人間と変わらない。
下地のない人間には魅力がない。そんな人間にわざわざ関わる人間も同じように下地がない。
類は友を呼ぶ。これは本当。
俺が安らげる状況を得るには自分の価値を高めていい出会いを得るか、またはすべてを拒絶して孤独な平穏を得るか。
もう孤独には飽きたが、かといって自分はいい人間と信頼できる関係性を築ける自信がない。
世の中には人を騙すのがうまい人間もいるのだから、なおさら自分にはかなりの壁が生まれても仕方がない。
それこそ、今の時代は世間的な目があるインフルエンサーは最も信頼に値する存在なのかもしれない。
自分もクリエイティブな職を目指す身である以上、友を作るのであれば自分もインフルエンサーになれるようにしなければならないのかもしれない。
だが、自分は人前に出て何かを成せるほどの行動力も自信もない。
それがないから精神がいかれて引きこもってしまった節があるのだから。
そして、自分がそんな関係性を築けたとしても、自分がやらかす可能性が高いことも間違いない。
だが、それを恐れていたら一生詰んだまま。いくらやらかしても愛され続ける人間だっているのだ。
自分はそれになれるのか?
ただでさえ親しまれさえしない人間やってきたのに?
はぁ。
考えるだけつらい。
もうずっと心が痛い。
全て忘れたい。
そうしてまたしばらくしてこの痛みを身をもって思い知るんだろうな。
一生忘れたままにさせてくれ。