燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

継続が最も難しい

「1日くらい……」の繰り返し

少しでも行動する気力がなくなったりすると、自分は1日サボってしまう。

そのサボるという行動は次の日にも尾を引いて、「これを毎日やるのは辛いしやらなくても死にはしない。」そう無意識の内に考えてしまう。

結果として行動できない日が続いて、明日やろう、明後日やろう、という風に先延ばしの怠惰な精神が支配してしまうのだ。

無意味だと感じて居たり、無理だと感じて居たり、色々な要因で生産的行動が出来なくなる。

 

クリエイターを目指す資質が無いなんて言われたら否定しようがない。

だが、それでも自分は目指したいという意欲はある。

というか、自分にはそれしかないと思い込んでいる節がある。

 

ぶっちゃけ、普通に精神的につらくない楽な仕事があったら、創作を辞めてしまう自信がある。

でもそんな仕事なんて自分が掴めるほど楽な場所にないことくらい理解している。

世の中どこ目指しても辛いものなのだ。辛いと感じなかった者にだけ資質があるものなのかもしれない。

単純に、自分は成すこと全てに対して苦痛を感じているだけなのかもしれない。

 

今のネット社会、成功し続けなければ何をされたものか分かったものじゃない。

そう考えてしまって行動して失敗するのが怖い。それが行動し続ける意欲を削ってしまうのかもしれない。

無論底辺のたわ言など気にする必要などないのだ。前を見て肯定してくれる人だけを囲ってしまうのが一番精神衛生上よい。

一方で、それをしたときに進歩できなくなってしまうのが怖いという考えもある。

 

自分は考えすぎる。

絵を沢山描いていた時期は、「描けば評価が得られる」という根拠のない自信があった。

それは実際間違っていなかった。その間絵は高頻度で描けていたし、ランキングに乗るくらいだったのだから評価もそれなりに得られていたと言って良い。

今の自分は「昔の自分の画力に追い付かない。これでは評価されない。」そう考えている。

評価されていた時期も、更に上を目指したい。そう考えて更なる行動をしようとした結果失敗して今の状態だ。

自分は身の丈というものがよく分かっていないらしい。

 

自分は今の自分でも「ちゃんと見てくれる人が居る」と考えた方が良いのかもしれない。

そして、その人たちに報い続ける行動をすることで、創作に対する意欲も回復できるのではないだろうか。