燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

案外ストレス解消になっている?

どうしようもない状態に愚痴と散歩はよく効くらしい(当社比)

効くといっても対症療法に近い。

しかしながら、嘆く場所があるというのはそれだけで多少の苦渋に耐える力が得られるということになる?のだろうか。

多少は肯定的な考え方が持てるようになってきたように思う。

 

まぁ、昨日ゲームに飽きたと言っておきながら、結局昨日ずっとゲームやってしまったんですけどね。

ネトゲはやりたいことが出来たらとことん時間泥棒だから許せないよね。

意思がよわよわなんだよなぁ。

 

でも散歩した後の清々しい状態はかなりいい物だったからこれから日課にしたい。

昨日散歩しなかったから遊び続けてしまったんだろうなぁ。そういうことなんだよなぁ。

ということにしておくとしても結果は変わらずいつも通りの怠惰な自分だったということなんだよなぁ。そういうところなんだよなぁ。

 

 

ブランディング確立って結構重要なのでは?

絵を描きたいと思って色々考えようとすると、世界観を統一しようという試みにいつの間にかなっていた。

 

基本的に絵を描く行為って、何かしらの強い関心に対するテーマがあって、それを意欲的に表現しようとしたときの手段に他ならないと思うんだよね。

だから絵を描くことが目的と化している今の状態だと、自分が絵を描くということに意欲的になれないのは当たり前だなと思うわけだ。

そこで、自分が描きたい世界観ってなんだろうと考えたとき、整然とした規定的なものがあるかないかで結構創作に対する自分の評価が変わってくることに気付いたのよな。

 

今の自分って、何やるにもテキトーというかアバウト。考えても答えが導き出せないからどんぶり勘定になりがち。

日課としてやりたいと思ったことも続かないありさまだしな。

毎日絵を描きたいのに全然描く量足りてないよ。

 

まぁそんなものだからブランディング的なものも殆どないに等しい訳だ。

一応性癖的には海外人気の方が強いジャンルな訳なんだが、自分の目指すというか、自分の描いていた方向性としては、画力が物を言う世界観になりがちだった。

ただ闇雲に画力を上げたいと欲して行動してしまってからは、絵を描きたいという意欲がなかなか持たなかったね。

目指したブランディングに現状では到達できなかった例というべきか。

そこで折れてしまえば結果として得られなかったも同義でしょうねえ

 

今の自分に必要なのは、到達しやすいブランディング

そう考えたので、出来るだけレールは敷くことにした。

脱線しがちな自分には可能な限り汎用性がありながらも統一感のある世界観が好ましい。