理想は洞窟の壁越しの虚像
具体的形状を想像できるか?
自分は虚像に満足できず理想の正体を求めすぎているのかもしれない。
結果として、その本質を見失って行動そのものに結び付けられなくなってる感じはある。
理想的な形って何? それを知れる人間は恐らくこの現世には存在しない。
結局人の身には虚像で見れる範囲しか知り様が無いのだ。
でも、理想の正体について推測してその通りに技術を振るえる人間はいる。
自分はそれになりたいのかもしれない。
しかしながら無知の知に対して対処が出来ないのであれば、そんな高度なことに到達する以前の問題なんじゃないか。
自分は元々学が無い。すべてがにわか知識だ。無知の知を身をもって体感しない日はない。
だから知ることは難しい。学び方を知らないからだ。理想の正体を見抜く能力の鍛え方など見当もつかない。
自分はやりたいことが結構曖昧だ。
ゲームを作りたい。イラストを描きたい。
それ以上のことはどんな形式でやりたいだとか疎らに粒度があって、それらの整理が出来ずに追い求めるには地図としては余りにも心もとない。
そして、やりたいと思う根源には、「他にないすごい表現がしたい」という自己顕著欲があるということは否定できない。
現実において人間が知り得る範囲のことなどもう大体はやり尽くされている。
ナンバーワンになるよりもオンリーワンを目指す方がいいとよく考えられがちだと思うのだが、本当の意味でのオンリーワンはもはや存在しないのではないか。
複合条件で絞るとオンリーワンは居るかもしれないが、単一の条件ごとに見たら大体は先人が存在するし後追いも存在する。
だからこそ複合条件でのオンリーワンを目指すことに自然となるのだろうが、結局は既存の物のいい所を抜き取って焼き直しする作業になるのだ。
そこが許せるかどうかが大事だ。自分は現状許せていない。
そもそも自分が求めている物を探すことなど不可能に近いし、それを元にしたと思われるものも自分にとって理想に到達できていない発展途上だと思うこともしばしばある。
そうやって選り好みし、現実の足りないものを推測する努力もしてきていない。
そうなってしまうとオンリーワンを目指す以前に行動そのものが出来なくなる。
自分はやりたいことの具体的形状を想像できているか?
確実に出来ていない。
虚像の裏にある本物の存在を追い求めるには、余りにも想像力が不足している。
ある程度は虚像そのものを容認して不完全を受け入れることも大事だ。