燻った意志の置き場所

どん詰まりな半ニートが毒を吐いて自分を見つめなおすブログ

早く抜け出したい欲求が溢れて爆発してしまいそうだ

今は我慢。

本当に理解のない連中だ。

いや、理解がないんじゃなく、人にストレスを押し付けることにストッパーがない連中なんだ。

 

何もしてないなんてある訳がないのに。

一朝一夕でどうにもならないとは何度も何度も言っているのに。

 

精神科に行って自閉症とアスペあるって診断されたの忘れてんのか?

強く当たったところで悪化の一途を辿るってなんで理解できないんだろう?

 

お前らのせいで心が壊れて創作の達成率が下がってんだよね。

お前らのせいで2年ほど回り道をせざるを得なくなってるんだよね。

お前らのせいでチャンスを棒に振ってしまってるんだよね。

 

まぁ馬鹿の家庭だからな。

もっと子供のころに気付くべきだった。

妹も弟も頭悪い地点で自分だけ特別だと思わないほうが良かった。

もっと早くに気付いていたら怠惰に学生を消費することもなかった。

 

とはいえ、自分は端から怠惰になるのは必然だったように思う。

この馬鹿の家は可能性を踏みにじり、何か挑戦する気力も起こさせない。

何かやって気に入らなければ殴りつけて抑圧する。

自発的に手伝いをしたとして褒めてくれるわけでもない。

そんな環境で自主性なんて育つわけがない。

 

単純に頭の悪いだけの家庭だった。

それでも反骨心をもって挑戦するべきだった。だが無理だった。

目上の人間が嫌いになったのも、人の感情が分からないのも、自己中心的な立ち振る舞いが多くなってしまったのも、全て家庭のせい。

人に気に入られる人間になれなければ、教えを乞うこともできないんだよ。

自分はことごとくチャンスのない人間に仕立て上げられた。

 

はぁ

救いようがない者によって自分も救いようがない人間にされたんだなって思うと溜息しか出ない。

 

馬鹿の家は目先の利益、即物的なことにしか目を向けられない。

だから俺に当たる。

基本的には無視しているけどやっぱり不愉快なことは変わらん。

 

今は本当に耐え忍ばなければならない。

耐え忍んだ先に、俺だけが幸福を味わうことが出来る。

そのおすそ分けなんて絶対にしてやらない。

そのときになってようやく気付くだろうな。

 

まぁ、もう決めてることだけど。

この家にはもう何もしないし、勝手にことを進めて勝手に出ていく。

そのために使い潰してやる。恩義以上に仇を受けているんだから文句言おうが知らん。

 

時間があまりにも惜しい。

最近睡眠時間がぐちゃぐちゃ。

ストレスもずっと溜まりっぱなし。胃は常にキリキリしてる。

一刻も早く抜け出したい。

 

ようやく光明が見え始めた今、立ち止まるわけにはいかない。

何度も光明を見てはまやかしに惑わされてきたが、今回ばかりは形を帯びている。

 

作品を一つ完成させれば絶対に状況は好転する。

そうすれば味方もできるだろう。そこからよりよい環境を自力で手に入れる。

俺はこんなゴミみたいな場所に囚われ続けるべき人間じゃない。

 

いいね。

恨みというネガティブな感情も、自分の未来を作るというポジティブな感情に変換できる。

俺はまだ終わり切ってはいない。

それに、俺はここから抜け出すことさえ出来ればあらゆるネガティブな感情を切り捨てることが出来る気がする。

穢れた自分を棄て去って、新しい自分を始めることが出来ると思う。

 

人はそう簡単には変わらない。

だけど、変わる必要のない環境がそうさせるだけ。

ゴミみたいな人間はゴミみたいな環境が生む。

環境を浄化すれば、人間も浄化されるに違いない。

そう信じるしかない。

そうであってくれ頼む。切実に。

余計なことしか言えない家系

はぁ~~~~~~~~~~マジで余計なことしか言えない家。

何か有益なことがこの家で起こったことはあったか?ないんだよなこれが。

 

俺の可能性を閉じているのはこの家。

昔からそう。その当時は気付くことはなかったけど、俺の持っていた学力はこの家が完全に足枷になった。

そして今俺はこの家に縛り付けられている。

解放されなければならないのに、自分はいつまでも躓いている。

 

俺は自分の居場所が欲しいだけなんだよ。

その居場所すらこの家にはないのだから、この家にいる意味って本当に皆無なんだよな。

それに、こんな人に穢れを押し付け合う穢れ切った場所なんて俺も欲していない。

 

俺が望んでいる居場所というものはこの世界にはないのかもしれん。

それに、そんな場所があったとしても自分はその場所を穢してしまうに違いないと意識無意識共に恐れを抱いている。

 

憧れと、己に刻まれた呪い。その狭間でずっと俺は外に出ることができなくなっている。

その事情も愚者には理解できないのだ。どうせ自覚もないだろう。

俺はもともと強い人間ではない。強くたくましく育つことを封じられた結果が今の弱い自分。

 

俺が美しい世界を覗き見てしまったことも呪いの一因なのかもしれない。

知ってしまったから、耐えられなくなってしまったのかもしれない。

限界であることを自覚しないようにしていたのに、もう疾うに溢れてしまった感情は押さえつけることなどできない。

 

人並みの幸せ。

そういうものだと言い聞かせていた物が人並みに決して及ばない物だったと知ったときの憤りはどこにやればいいのさ。

 

俺はもう決めている。

今すぐにはできないのが本当に苦しい。すぐにでも動きたい気分ではある。

だが、そう遠くない内に俺は遠くへ行く。こんな場所居られるかよ。

 

音信不通にしてやる。一切の連絡もできないようにしてやる。

ここを出たら二度と会いたくない。

 

そうして俺は足枷によって弱った心と体を清めつつ鍛えていく。

そのための準備をもうすぐにでも始めよう。

 

自分に必要だったのは、諦めることだった。

この身をキレイにしてからこの家を出るつもりだったけど、もう完全に自分の未来だけを考えることにした。

金銭の問題も少し諦めれば簡単なことだった。とはいえ準備期間が要る。

 

一人でやり遂げるにはあまりにも骨が折れるだろうが仕方がない。

自分なりの覚悟って訳。やるしかない。自分の未来のためにも。

内面の傷に気づかないふりをしていたら気づかない内に耐えられなくなっていた

自分はかなりの数のトラウマがある。

それも、大体の場合自分の勉強不足や思慮不足によるもの。

衝動に駆られて引き起こしてしまうことも多々ある。

常人ならお互いに「まぁ仕方ないよね」で終わらせられるものなんだろうが、自分の場合、失敗に対する病的な不安がある。

失敗をケアしてくれるどころか失望の眼差しを向けられたときなんかは苦しくてしょうがない。

それを昔の自分はなけなしのプライドによって覆い隠していたというのもあるのかもしれない。

 

思えば誰も自分の成功を褒めてくれたことがない気がする。

だから、行動することに何の意味があるのか?

それをして失敗したら失望するのに、成功しても何も得られるものはないのはおかしい。

 

いや、実際は褒めてくれる人はいるのかもしれない。

でも、どれも自分にとってうれしい誉め言葉をもらえることなんてない。

どいつもこいつも形式だけ。持て囃すだけ持て囃して期待なんて端からしていない。

 

根本的に人は他人に興味がないようで。

いや、俺の居た環境が徹底的にゴミだっただけだろう。

俺自身が興味を持てなくなってしまったから、他人が自分に興味を持つことなど想像できなくなってしまっている。

圧倒的人間不信。

 

結局自分はあまりにも自分に素直すぎたのだろうな。

その素直さに従って行動したら、穢れ切った自分の環境において健全に育つ土壌がなかっただけのことなんだろう。

そう思わないともうやってられん。

 

いつまでたっても進まない進捗。

もう苦しいわ。なんでこんな苦行してんだ俺は。

 

失敗が怖すぎてず―――――――――――――――――――っと手直ししてらぁ

広げた風呂敷に対する期待値高くなりすぎだって反応良すぎだって

まだ物ができてねえのになんでやって

こんなん失敗できねえって

時間かけねえと無理だってのに時間進むの早すぎだろ

そんでもって俺の作業ペースが遅すぎんだわ

 

前述通り過去のトラウマによって自分は成功体験が乏しいどころかほぼないに等しい。

そのせいもあってそういった考えがどこかで過って俺のモチベを砕いている。

成功への光が見えていて、でもそれが常にどこか霞んでいるような状態。

ずっとそれが続くものだから、その光すらも偽りに見え始めた始末。

 

どうせやっても無理無理上手く行きっこない無駄無駄

そんな風に自分の心は常に叫んでいる。もうこれ以上傷付きたくないという防衛反応なのかも。

ずっと石橋を叩いていたらその叩いた衝撃で石橋を砕きかねないほどには叩き続けている。

過剰なほどに足元を確認しながら今の自分は歩いている。

 

やっぱり失敗が怖くてしょうがないんだろうな。

全て投げ出してしまえればどれほど楽なんだろう。

でも、自分が背負ってしまったものを捨てるにはあまりにも勿体ない段階まで来ている。

そもそも、今のインターネット、一度期待を裏切ればそう簡単に舞い戻ることはできない。

苦しいけど頑張るしかない。

頑張るしかないという結論に至っている地点で限界なのかも。

 

失敗への恐怖が俺を怠惰にして、その怠惰が失敗を招く。悪循環。

勤勉になりてえよ俺もさ。

人間だれでも努力出来たら努力なんて言葉生まれてねえよ。

あーーーーずっと無い物ねだり。

やってらんねぇ

けどやるしかねえんだわくるしいいいいいいいい

 

人間不信で味方も作れねえし、圧倒的孤独感で気が狂い始めているのだろうか。

なんにせよ、毒を吐かないとやってられんかった。ただそれだけ。

苦痛をネットに吐き出すの気持ち良すぎだろ!

 

元ネタ知ったけど令和であんな動画見れるなんて思いもしなかったわ

あぁ永遠に楽しいものが転がっているように見えた昔のインターネッツが懐かしいわ

人生強くてニューゲーム出来ねえかなぁマジで。

あの頃に前線を張れる力を付けて堪能したいわ。

 

働かない代償に休みのない作業

自分は今現在、個人ゲーム制作という趣味の領域を仕事みたいなものとしてお金を生み出せるようにしようとしている。

人に使われることができない自分が、ニートで居続けたいわけではない自分が、何とかして現代社会に噛り付くための悪あがきみたいなもの。

全年齢向けはレッドオーシャンだが、エロは消費されやすく需要も尽きないため供給が常に足りないから勝算がある。

現状反応も悪くない。期待してくれる人が結構いることがかなりの救い。

 

今はお金がないので金銭コストがかけられない。だから、必然的にたった一人孤独の戦いを強いられ続ける。

だから、必然的に自分自身の時間をコストとして払い続けなければならない。

完成するまで一銭の価値も生まないものを、ただひたすらに完成に向けて作り続ける日々。

最近ずっと休みなく作業し続けられている。一刻でも早く自由になりたい。その一心。

 

自分はアスペと自閉症の気質があるので継続的な作業を目指すには苦労する。一時は集中しすぎるし、一時は逆に集中力が散漫になり過ぎる。

そのうえ、作業内容がクオリティの向上に偏りがちになってしまう。

過去に他のゲームプレイで体験した不満足な部分を全部埋めようとしてしまう。病的なまでに。

そのせいもあって完成がまだ見通せない。

 

メンタル的にはずっと最悪なまま。

ただでさえ時間をかけなければならないものに一生取り組んでいる中で心無い身近な他人が頻繁にこっちの心情を組むこともなく嫌味を放ってくる。

でも、そのストレスが作業モチベを生んでいるのもまた事実。

ボロボロになったメンタルを守ろうと働くことをやめたというのに、一刻でも早く現状の劣悪な環境を抜け出してメンタルを上向かせたいがために作業詰めの日々。

結局、働いているのと大して変わらない。怠惰を殺し続ける日々。

 

とはいえ、一人で何かを成そうとするには、趣味の領域であっても働くことと同じレベルで手を尽くす必要があるのは間違いなさそうだ。

誰かが構築した手順をなぞるわけではない。自分の手で切り開かねばならない。

そうなると、休む暇もなくあらゆることを考えて作業を効率的に進めていく必要がある。

もちろん、動画やらチュートリアルやらで誰かの構築した手順をなぞることもあるが、その取捨選択でさえ自分で判断する必要がある。

そこに自分の個性が介在すると感じることができる。

その点で言えば、間違いなく今やっていることを仕事にできるレベルまで持っていくのは自分の性分に合っているのかもしれない。

 

俺はずっとなぜ自分が社会に適合できないのかを考えていた。

ふと思い至ったのは、アイデンティティを渇望していたということだった。

自分じゃなくてもできる作業は全く気が進まない。そのせいでその作業は自分じゃないほうが効率的にできると。

俺は目上の立場の人間というものを心底忌み嫌っていた。

個性を奪う逆らい難い圧力にしか感じなかった。自分よりも経験があってうまく出来る人間であるなら、自分が出る幕はないじゃないかと感じるのもあった。

 

そもそも、歯車になることが嫌いだった。それこそ自分の個性を諦めることにつながるからだ。

だが、自分は歯車にならずに社会で活躍できるほどの経験値は持っていなかった。

社会で個性を発揮できる人間というのは、若くして努力し続けた人間のみなんだと。

そういった意味では、自分は怠惰な学生だったがために、社会において個性を発揮するための条件を満たせなくなってしまった。

そうして今現在自分は努力を後から重ねる必要が産まれてしまっているわけだ。

 

やはり自分は自分で仕事を生まなければならないのかもしれない。

自分は個性を欲していて、誰かに使われる人生を自分は求めていないし、その感情に嘘をつけないから仕事もできない人間として扱われてしまうんだと思う。

そう結論づけると、自分は働かない選択をしたうえで、自分自身の手によって価値を生み出せる人間になることが、自分に嘘をつかずに生きていける唯一の道なんじゃないかと思っている。

 

周りは甘えているだの、現実はどうこうだの。常に言ってくる。

だが、門外漢の言葉など雑音でしかない。そもそも勝算無しに頑張るわけがない。

それに、一手で終わりではないからな。二手三手繰り出す準備をしてないはずもない。

そんなことも分からないような奴らを見返すつもりもない。最早眼中にない。

成し遂げた先にある光景をともに分かち合える人間以外に興味はない。

狂信的に自分の成功を確信して突き進むこと以外の選択肢を持つつもりもない。

 

そうして俺は毎日作業に取り組む。

一日でも早く、成し遂げられるように。

 

余談だが、才能という言葉は自分にとっては唾棄すべき言葉で、無知蒙昧な凡人の言い訳でしかないと思っている。

一般的に才能と言われるものの正体は若いうちの努力による経験の賜物が今現在顕出しているものだと俺は思っている。

結局何かを熟練するには10年前後の経験は必要。

才能を発揮している人間はほぼ全てにおいてそれくらいの経験を積んでいるように見える。

 

音ゲーとかやってるとマジでそう感じる。

音ゲー歴は2年とちょっと。殆どクリア乗るようになって上手くなっては来たけど高難度の精度がまだ全然ダメなんよな。あと3年かけても最高難度のフルコン行けるかどうか怪しい。

理論値取るような上手い人達は幼い頃にピアノの経験があることが多いからやっぱり10年前後が目安なんだろうな。

 

ちなみに、自分はゲームを作ろうと絵を描き始め、プログラミングを学び始めたのは丁度10年ほど前になる。

怠惰な人間だったので、経験の密度で言えばそこまでではなかったかもしれないが。

その理屈なら、そろそろ成し遂げるには丁度いい頃合いだろうと思っている。

それもあってメンタルは劣悪でもモチベーションはかなり高いのが今の自分を後押ししている。

 

劣悪な状況で頑張ろうと思えるようになったのは、逆にメンタルが上向いているのかもしれない。

どっちでもいいか。

やることは変わらん。

二十代前半もまだまだガキ

明確に自分を俯瞰して見れるようになり始めたのは25歳超えてからであることを思い出した。

まだ二十代前半の妹は頭が悪いのだが働いているので俺よりも家での立場は上のようで。

俺が何も言わないのをいいことに本当に余計なことしか言わない。

虐められてたというのは聞いていたが、これが原因なのか、それとも虐められた結果そうなってしまったのかは知らん。興味もないし。

 

そのうえ声豚。数年前は俺もほどほどにアニメは見ていたからリビングであいつがアニメを見ているのを見ていたら、いきなり登場キャラの知らんし興味もない声優の話をし始める。

うーん。きっしょ。

俺の家族、本当に問題児しかおらんな。

 

今回はなんも俺の事情を知らない妹が厭味ったらしく突いてきたというだけ。

俺はただでさえ最近言葉を発する機会が少なすぎて、人と話す能力が衰えているのだから、一々理解力も想像力も欠片もない頭の悪い奴に説明してやる労力を割きたくはない。

まあ、何も説明しないし何も事情が見えないただ引きこもってるように見える俺に対してイライラしているんだろうな。

 

俺が普通に働くことができない理由は俺が普通に説明することもできないくらいに複雑。

自閉症でありアスペルガーであり、過去の失敗のトラウマに対する恐怖に四六時中苛まれて苦悶しているような鬱ニート

そんな中で俺もニートで居続けるつもりもないから、俺が唯一仕事にできるものを実らせるために時間をくれと親には言ってあるし、渋々了承してくれている。

まぁ、それを実らせるにも自閉症アスペルガーが組み合わさると変に凝るしモチベの乱高下もあって一筋縄ではいかないものではあるが。

自分でわかっていても抑えられないのは本当に苦労する。

とはいえ、ようやく実りが見えてきているし、早く現状から抜け出したいから毎日休みなく作業している。

ぶっちゃけ今クソしょーもない奴に構ってメンタル状況を悪化させてる暇なんてないんだわ。

 

そもそも人に面と向かって嫌味を言って好転することなんて世の中一つもないというのにな。

俺に必要なのは時間と遠くからの応援だけなんだよ。

 

そういうのも、馬鹿には説明してやらないと分からないんだろうけど、説明しても理解しないだろうな。過去にもそうだったし。

俺が人に説明することを諦めたのはこの家が原因だったことを思い出した。

 

とはいえ、親は諦めたのか理解示してくれたのかは知らんが俺を責め続けることはやめてくれたし、感謝できる状態で現状から抜け出せそうなのは喜ばしい。

苦節4年になるのか。

まぁ、まだ数か月は頑張らないとたどり着けないけどな。

本当に抜け出せるかどうかもまだ確定はしていないけどな。でも、行けると信じなければ俺が技術を得てきた理由、ひいては生きてきた理由も消えてしまう。

 

ガキに気分が害された程度で立ち止まるわけにはいかねえからよ。

俺が抜け出したころにはあいつも少しは自分を顧みる能力がついていることを願うばかりだ。

自分を変えることは困難だが変えようとする努力は割かし為になる。だが、変えたくないことを変えようとするのは何のためにもならない。

変わりたいという意思があるかどうか。

変わりたいと思ったとしても人の根本は変わらない。

特にネガティブな要素は一生付きまとい続ける。

俺は一生この怠惰と添い遂げることになるんだろうな。

 

だが、勤勉になる努力をしたいとは思わない。

自分は自分の型にしかはめられない。

やりたいと思ったことにしか自分は興味を持てない。

興味の範疇にないものには無理に興味を持つことすらできない。

 

多分、世の中でうまく立ち回れている人たちはその無関心に対して上手く対処できるのだろう。

俺は無理だ。根本的に無関心に抗う意思すらない。

だから、どこまで行っても他人には無関心なんだろう。

自分が傷つかないための自己防衛反応でもあるのかもしれない。

人に興味を持って接して失敗しなかったことがない。

いや、本当に興味があったわけではない。無理に興味を持とうとした結果。

 

俺はとにかく嘘をつくのが死ぬほど下手くそだ。

正直な感想を脳内で吟味する間もなく口から吐き出してしまう。

インターネットに慣れ過ぎた弊害。文字を打つならいくらでも推敲できるからな。

これを直す気ももうすでに失った。

直そうとすればするほど心が疲弊する。

 

俺の心の強度は常人よりも弱い。

でなければ引きこもりなんかしない。

なんであいつらはあんなに強かに立ち回れているのだろう。

そうは思ってもそれになりたいとも思わない。

 

もうすべてを諦めているような感じ。

反動形成として自分は一生創作の世界にのめりこんでいる。

 

だが、結局世の人々が創作に求めているのは他人とのコミュニケーションだと感じる。

「いいものを見たい」のではない。「自分がいいものだと思う感性が他人と同じであることを確かめたい」のだろう。

作品を提示したとしてもそれを受け取る側の大半はそれを踏み台にして慣れ合いを欲している。

それができない作品は、誰にも何も伝わらないようだ。

 

名前売り込んで、別に凄いことしてるわけでもないけど他に大勢見ているというだけで衆目を集める。

今のすべてのコンテンツはそういう気質がある。

とはいえ人を集め続けるのは地味に苦労すること。

凄い奴の瞬間火力より、地味な奴の継続火力のほうが総合的な威力が高い、みたいな。

 

それでも俺は多分、創作においてもかなり閉鎖的に立ち回ることになるだろうな。

知りたい奴だけ知っていてくれ。そういう意思表示。

人と関わりたくないから創作をしているのに、関りを強制させられるなんて反吐が出るからな。

 

何言いたいのか分からなくなってきた。

 

なんも分からねえしわかる気もねえわこんな世界。ばかが世。

失敗の痛みを忘れがち

ADHDだと本当によく失敗の痛みを忘れてしまう。

衝動的な行動をしてしまうが故に、後になってああすればよかったこうすればよかった。みたいなことが無限に噴出する。

過去に学んだ痛みを同じように経験して同じように悶々とすることほど益のないことはないよ本当に。

 

自分は良く人間関係で失敗する。

それがどんな場所であれ。

自閉症でもあるので特段こだわりが強いのも原因ではあるのだが、ちょっと話の通じない相手であるとそのことを相手に自覚させたくて少し噛みつきたくなってしまう。

話が通じない人間というのはそのことを自覚しなければそれによって発生する様々な不幸から抜け出すことはできない。自分もそうだったからだ。

だが、話の通じる脳みそをしていない相手は関わるだけで損をするので放置されていることを自分は理解している。それでいてなお衝動的に行動してしまうことが良くある。

 

だが、自分は常々やり方が良くなかった。あまりにも皮肉に言い過ぎる節があった。

どうしても不快感はぬぐえないからだろうか。それとも、自分がされたことを同じようにしてしまうだけなのだろうか。

そういう相手こそ最も皮肉が通じないことなんていくらでも分かっているはずなのに。

結果としてお互いに傷を負って良くない結果に終わる。

こんなこと何度も繰り返してきた。

そしてまた人との関わりを絶つ。

 

はぁ。

 

 

俺にもっといい人間との出会いをくれ。

そう思いながらいい人間がいるはずのない場所を渡り歩く。

いい人間と出会うのであれば、「お互いに」信頼できる関係性を築けるだけの自分の価値を創出しなければならない。

しかし、俺は自分の価値には自信が全くない。

 

偶然の出会いというのは下地があってようやく実るものなんだ。

自分の持っているものに自信がなければ、下地のない人間と変わらない。

下地のない人間には魅力がない。そんな人間にわざわざ関わる人間も同じように下地がない。

類は友を呼ぶ。これは本当。

 

俺が安らげる状況を得るには自分の価値を高めていい出会いを得るか、またはすべてを拒絶して孤独な平穏を得るか。

もう孤独には飽きたが、かといって自分はいい人間と信頼できる関係性を築ける自信がない。

世の中には人を騙すのがうまい人間もいるのだから、なおさら自分にはかなりの壁が生まれても仕方がない。

それこそ、今の時代は世間的な目があるインフルエンサーは最も信頼に値する存在なのかもしれない。

自分もクリエイティブな職を目指す身である以上、友を作るのであれば自分もインフルエンサーになれるようにしなければならないのかもしれない。

 

だが、自分は人前に出て何かを成せるほどの行動力も自信もない。

それがないから精神がいかれて引きこもってしまった節があるのだから。

そして、自分がそんな関係性を築けたとしても、自分がやらかす可能性が高いことも間違いない。

だが、それを恐れていたら一生詰んだまま。いくらやらかしても愛され続ける人間だっているのだ。

自分はそれになれるのか?

ただでさえ親しまれさえしない人間やってきたのに?

 

はぁ。

考えるだけつらい。

 

もうずっと心が痛い。

全て忘れたい。

 

そうしてまたしばらくしてこの痛みを身をもって思い知るんだろうな。

一生忘れたままにさせてくれ。