全力が出せなくて行動に躊躇いが生まれるのなら全力を出すことを諦める方がいいのだろうか
取り繕うことを諦める。
今自分が悩みに悩んで行動できない原因は余りにも複雑で大量にあるように思えてならない。
だが、その全てを解決しきることは恐らくないし、出来たとしても何十年とかかる問題であるようにも思う。
自分にはそんな時間は残されていない。
ただでさえ1年半の時を無為にしてしまったのだから、少しでも早く社会に立ち向かえる力が必要だ。
抱えられない物を抱えようとして体勢を崩すのなら、そんなもの投げ捨ててしまうべきだ。
自分に問題を抱えさせた奴が悪い。今更体裁取り繕っても無駄。そう思ってすっぱり諦めることにしよう。
実力を諦める。
どうすれば自分の目指したい場所にいけるのかは単純明快だ。
絵を描いてゲームを作ればいい。
もちろんそれは趣味的ものではなく、実際に利益を十分に生み出せる質と量を確保する必要がある。
だが、特に自分が戦おうとしている成人向け作品であれば、質は一定水準あれば良くて、どちらかと言えば量の方が重視されるようにも思う。
勿論、質があるに越したことはない。だが、現状の自分の実力でも「必要十分」であるということを自分は自覚した方が良い。
自分は内心では「もっと実力があって然るべき」と考えているように思う。
向上心があるのは悪いことではないが、現状その思考が自分の行動を鈍らせているのであれば、間違いなくそれが悪さしていることになり得よう。
自分に必要なことは恐らく「納得がいかない作品だろうと作り続けること」なのだろう。
そこで自分の「実力」に対して一種の諦めが必要になるのかもしれない。
何もできなければ何も得られないことに対し、何かしら作れば1以上は間違いなく得られるのだから。
評価されることを諦めるべきか。自己表現を諦めるべきか。
絵を描く以上、評価と自己表現の両立は望ましいものだと思う。
現状、自分は拙い自己表現をして評価を下げてしまっているように感じる。
無論、その拙さを克服したならば自ずと評価は上がるものなのだろう。
しかしそんな物事は単純じゃない。拙さの克服方法など経験を積む以外にないのだから。
ある程度は王道を受け入れて、安定した評価を獲得することが大事なのかもしれない。
自己表現の方法をあまり個性のない王道をトレースすることで学ぶこともあるかもしれない。
資金を得るという目的で行う活動である以上、評価は切り捨てられない。であるならば必然と自己表現分野を当面諦めてしまうべきなのだろう。